思い通りにならなくても自分らしくあれ -第2弾

 
飛ぶネコにとって大事なものは時間です。 やりたいことがたくさんある飛ぶネコは一日の中で少しでも多くの事をこなせると達成感と満足感を味わえます。




今日、娘を幼稚園に迎えに行って
家に着いたのは午後1時。
娘のお迎えの時間は11時50分。 我が家は、幼稚園から7分の距離にあります。 娘と一緒に歩いても、15分で帰って来られます。 はてさて、なぜ、そんなに時間がかかったのでしょう。

娘は帰り道、幼稚園の敷地内にある遊具に見事に誘惑されました。 娘の帰宅時間には大勢のお兄ちゃんお姉ちゃんが 休み時間で遊んでいるからです。 それに、今日は冬とは思えないほどのポカポカ陽気で 外遊びにはもってこいの天気でした。

その数日前、娘を連れて買い物に出かけていた時のことです。 車を降り、おんぶにだっこをせがまれ、喉が渇いたので給水、トイレ休憩、なんてしていると店に着いてから10分も経っているのに買い物かごも持っていませんでした。 こうなることを予測せずに娘と一緒に来たわたしって 容量悪いったらありゃしない。

やっぱり一人で来て、ささっと買い物をすませればよかった、と後悔している飛ぶネコが想像できるでしょう。

やっと買い物が終わって車のエンジンをかけようとすると、「ちょっと休憩~」と、笑顔で言う娘。 飛ぶネコと一緒に運転席に座ってきました。 『くぅぅぅぅ、貴重な時間がどんどん無くなっていく。。。。』 拳を握って、我慢のポーズでいる飛ぶネコに、娘がピトッと寄り添ってきました。


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実は、この時、不思議なことが起こっていました。
娘にとっての買い物は、必要な物をそろえる時間じゃなくて「お母さんとの楽しい時間なの」、と訴える娘の気持ちが、その「ピトッ」から伝わってきたんですね。
手の力が緩んでいくのを感じながら 飛ぶネコの記憶は 昔の自分へとタイムスリップしていきました。 子どもらが幼いころ、 学生寮に住んでいた飛ぶネコ一家。

洗濯はコインランドリーでした。
寮からランドリーまでは約30m。 走って行ってくれば、洗濯を回して5分で帰ってこられます。それから、食器を洗ったり、部屋の掃除をしたりで 午前中が終わります。

というのが飛ぶネコが予定していた一日の過ごし方だったのに、実際に洗濯にかかった時間はなんと3時間!
想定外の一日はこうして始まります。 ランドリーまでの30mにある公園。 ここが最大の難所。 道草を食うこと、40分。 やっとランドリーに着いたかと思ったら、 今度は、目の前の公園で、 洗濯が終わるまでの2時間たっぷり遊ばれます。

帰路に再び迫る公園に立ち寄るのを避ける光景は、 一人捕まえては、もう一人が逃げ出しという イタチごっこでした。 家に帰ると、 たたまなければならない洗濯の山。 そして、キッチンには食器の山。 家の中はおもちゃが散乱。 子どもらのお腹を満たしたら、 やっと自分の予定通り動ける、 と算段して、昼寝を楽しみに待ちました。

その後、なかなか昼寝モードにならない子どもらに
イライラがどんどん募り、 一日の終わりが近づいているのに 何一つ片付いていない現実をみて、 頭から火を噴く毎日だったのでした。

この時期、息子たちと交わした言葉は
「はやくして!」 「そんなことは今やらなくていいの!」 「かあさん、やらなきゃいけない大事なことがあるんだけど!」

会話にならない言葉しか浴びせていない自分を
情けなく感じたのには、理由がありました。

自分の思い通りにはいかなくても、
やらなきゃいけない事のリストが全然終わらなくても、 私にとって今、大事なことは 子どもの目線で時間を過ごすことであって、 自分の思い通りに時間を過ごすことじゃない、と決めたはず、 だったからです。


 


ラーメン好きの夫とのデートで
おいしい塩ラーメンを食べるために1時間半行列に並んだ後、 「これって時間の無駄」と宣言した飛ぶネコ。
 そういえば、ラーメンの行列に並んだのは、 あの一度っきりです。 夫は、彼の大好きなものを味わった後に見せる 飛ぶネコの笑顔を想像してワクワクしていたことでしょう。 それなのに、再び行列に並ぶことを拒否してしまったわたし。

あの時、夫の愛を台無しにしてしまったのだなぁ、 と気がついたのが、これまた「ピトッ」の時だったのです。 娘の「ピトッ」で痛感したこと。 それは、《自分が我慢している》と感じるステージは そろそろ卒業しないとな、でした。
この新たな決意を示すべく、息子たちに
「いっしょに買い物に行く人!」と朗らかに宣言してみました。 しかし、もうすぐティーンの息子諸君は、 「はぁ?うちでテレビを見ていた方がいい」という返答。
当然です、これ。
君たちがまだ幼いころに もっと楽しげにできればよかったことだったのよね。 『あの頃の君たちにとって大事だったことを かあさん、わかっていなくてごめんなさい。』 と、心の中で詫びていました。
後悔しても手遅れなんですが、
気づかせてくれてありがとう、 という気持ちを「ピトッ」の一件に感じています。 誰かを心から無条件に愛せる気持ち。 これまで長い間それを求めて、頑張ってはきたものの、 まだまだほど遠いと感じていたものが やっときた!と気づかされた出来事でした。

この「きた!」ものは、
今後、努力、我慢という次元のものではなくて それを超えた何かとして存在し続けるのであろうと 心のどこかで感じているんですよね。

慈愛は長く堪え忍び、親切であり、
ねたまず、誇らず、自分の利益を求めず、 容易に怒らず、悪事をすこしも考えず、」(モロナイ書7章45節)

という聖書の言葉が浮かんできました。 今は、「かあさんと一緒に買い物行く人!」 と、笑顔で言えます。 そして、夫に「ラーメン並ぼうよ!」って、 飛ぶネコから言って、喜んでもらおうと思ってます。
 
 
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