あなたは、どんな形で自分を表現するタイプですか?
言葉で。文字で。絵で。映像で。音楽で。演技で。ダンスで。
人それぞれ、得意分野とそうでないものがあると思いますが、
みな、何かしらの形で自分を表現して生きています。
飛ぶネコは、子どもらの通う小学校で生徒たちの書いた美術の絵や作品を展示するボランティアをしています。
作業は子どもたちが授業中にすることが多いのですが、
たまに、展示中に生徒たちが近寄ってきて、自分の作品を探すことがあります。
今日は、ちょうど、クラス全員の作品を展示し終わった後、生徒たちが廊下に出てきて、作品を見始めました。
まずは、探すのは自分の作品。
その後、「あ~、俺の超~へたくそ!」
「あなたのはどれ?」
といった会話が聞こえてきました。
そんな光景を見ながら、
表現して、それを認めてもらうという行為は人の成長に、とっても大切なんじゃないかなぁ
という風に考え始めました。
一つの同じ物を見て書いている絵なのに、使う色、構図、どれをとっても同じものはありません。
それぞれに見え方、感じ方の違いが表現されています。
表現されたものに、良い悪い、正しい正しくない、という判断基準は当てはまりません。
みなそれぞれに、いいんです。
飛ぶネコの好きな作家さんは、登場人物に、自分の表現したいこととその人の人格をうまく織り交ぜて
非常に巧みに読者を魅了します。
飛ぶネコは音楽で感動することも多いのですが、絵にしても、文章にしても、音楽にしても、
人の心をとらえて、感動の涙をさそうほどの表現ができる人はどうやってその才能を開花させたのでしょう。
飛ぶネコの場合は、平均寿命の半分の人生を生きてしまったのに、
自分が満足できる形で表現できたといえることはありません。
それでも表現することを止めたいと考えたことはありません。
むしろ、表現することをつづけながら、人との結びつきを良くしたいと望んでいます。
友人の引っ越しセールの中に見つけた片岡鶴太郎さんの画集。
「私は感じたものを表現できるようになるため、もっともっと私という人間を鍛えなけば。。。」
とありました。
鶴太郎さんは、演技と絵描きについてこうも言っています。
「人を感動させる、なんて聞くと、ヒェーッと思ってしまう。
ぼくは俳優でもないし、絵描きでもない。ただ無一物の人間です。
だから、その人間を鍛えながら日々生きていて、
その中で足跡みたいなものとして残っていくのが演技とか絵だったりする。
だから僕は、僕という人間を鍛えなければ何もなしえないと思うんです。」
表現して、見て(認めて)もらうことは、生きる証なんですね。
でも、どう人間を鍛えていけば、相手の気持ちも高めることができるのでしょう。
そんなことを考えていたときに、あるフットボール選手の素晴らしい格言に出逢いました。
Legacy
誰かのために何かをするという表現方法を自分の中に加えたら、
人間を鍛える事にもなり、誰かの心を高めることもできるという、
win-winの結末が見られるのじゃないかという、素晴らしい発見をしてしまいました(笑)。
表現=生きる証=後の人に残るもの
自分の中の人生のジグソーパズルのピースが埋まったように感じました。