クリスマス 本当の意味

クリスマスの季節を迎えて、みなさん、気分も高まってきているでしょうか。
キリストの降誕を祝うこの特別な季節は、
世界中の人に言葉では表現しがたい素敵な気持ちをもたらしていると感じます。

 

一方で、クリスマスだというのに
胸にぽっかりと穴が開いたような空しさや寂しさを感じて、
温もりを求めている人がいるかもしれません。

 

そんな人にとっては、キラキラと光るクリスマスライトや街中の喧騒が
煩わしいものに感じられるかもしれませんね。

 

実は、飛ぶネコもそんなウキウキしないクリスマスを経験したことがありました。

 

クリスチャンとして通う教会を長年にわたって探していた飛ぶネコは、
1996年の秋、やっとその教会を見つけました。

 

数か月後にはクリスマス。
クリスチャンとして迎える初めてのクリスマスは、
神様が喜ぶことをして祝いたいと望んでいた飛ぶネコは
有休を使って会社を休み、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師と一緒に
朝から晩まで伝道して過ごしました。

 

望みをかなえた達成感にあふれて帰宅すると、
留守番電話にメッセージが入っていました。
幾つかの無言メッセージの後、聞こえてきたのは母の声。
「帰ったらすぐに電話をちょうだい。」

 

嫌な予感がして、夜更け近かったのにもかかわらず、すぐに電話をかけました。
電話に出た母は、わたしと分かると声を詰まらせ、
「お父さんが入院したの。すぐに帰って来てくれる。」と。
「どうしたの?病気?」と、問い詰める飛ぶネコの質問に、震える声で
「ガンだって。あと、3か月しかない。」との答え。
「え?。。。」
何と反応していいのか、わかりませんでした。

 

さっきまで、ほんの数分前まで、天にも昇るような気持ちでいた飛ぶネコは、
一瞬にして、闇に包まれた谷底に突き落とされていました。
「なぜ?どうしてクリスマスの夜に、こんな知らせを受けなければならないの?」
「何をどう間違ったらこんなことが。。。。?」
津波のように押し寄せてくる思いをどうすることもできず、
声を出して泣くという行為で一夜を明かしました。

 

翌年の2月、父は亡くなりました。

 

一人になった母をいたわってしばらく実家に留まり
2週間後に自宅にもどってみると、
アパートのドアがたくさんのメッセージや手紙で埋まっていました。
誰にも何も告げずに長期間家を空けた飛ぶネコを心配した友人たちが
頻繁に様子を伺いにやって来ては、残していってくれたものでした。

 

その中に、Shepherds, Why This Jubilee (羊飼いたちよ、なぜこの祝祭?)という一冊の本がありました。
表紙からしてクリスマスの本です。
あの日以来、クリスマスは喜びの日というよりも、
悲しい思い出をよみがえらせるだけの日となってしまった今、
表紙の絵を見るだけで心が痛みましたが、
玄関先に置かれていたその本を手に取って、ページをめくってみました。

 

「置かれている状況によっては、
もしかしたら、多くの人にとってクリスマスが楽しいものではないかもしれません。」
というフレーズで始まったそのお話。
続きはこうでした。

 

「入院していた父親が手術中に2度の心臓発作を起こし、
手術室から出てきた時には、様々な機器とチューブにつながれ、意識のない状態でした。
今日はクリスマスイブだというのに!

 

快復する見込みのない父親を目の前にして、わたしが抱えた質問は、
『なぜ?クリスマスのイブの日に、こんなことに。。。』

 

サンタクロースの帽子をかぶって勤務する病院のスタッフ。
病棟にはクリスマスのデコレーション。
どこへ行ってもクリスマスを祝う雰囲気で満たされている周囲とは裏腹に
よりによって、クリスマスイブに死に直面している父を見ている自分を思うと、
悲壮感が一層募っていきました。

 

その時、ある声が聞こえて、自分がどこにいるのかを悟りました。
悲しみにおぼれて歩いているうち、いつの間にか産科病棟に足を運んでいたようです。
生まれたばかりの赤ん坊の泣き声で、わたしの意識が呼び起こされました。

 

その泣き声はまるで、自分のために取っておかれたギフトであったかのように、
次のメッセージと共に、届けられました。

 

『ジェフ、クリスマスキャロルの意味を忘れてしまったのですか。
ベツレヘムとゲツセマネ、エジプトへの急ぎ足の旅とカルバリの丘への重い足取りは
切り離せないものなのです。
クリスマスが喜びで満たされた日であるのは、痛みや虚しさが無いからではなく、
むしろ、人生にそういった苦痛が実在するからなのです。
あの赤子、わたしの息子であり、愛する独り子、まさに、“天を降りし神の御子”が
この世に、また、永遠にわたって、そして、遥か宇宙の果てにまでいたる
すべてにもたらした影響を想い出すのです。』

 

人生において、悲しい出来事、苦痛を伴う体験、試練の時は止むことがありません。
しかし、ベツレヘムでの誕生から始まった一連の出来事は
ハッピーエンドで終わるのです。
堕落の後には復活が、
誕生の後には、永遠の命への復活と再生が訪れます。
クリスマスの産声(うぶごえ)は、
希望の光を呼び戻す喜びの声(クリスマスキャロル)なのです。」

Jeffery R. Holland, Shepherds, Why This Jubilee

 

その時の飛ぶネコにまさに必要なメッセージでした。
悲嘆にくれて閉ざされていた心に光が灯ったのがわかりました。
キリストの降誕はその後、十字架上の死と復活に続く
この世で最も深遠な出来事へのプロローグ
―それがクリスマスの本当の意味だと。

 

生命(いのち)が永遠に続くようすべてを整えてくださったキリストの贖いに
大いなる感謝の気持ちで満たされながら、
天で父親と喜びの再会を果たせる日のことを想像しました。
救い主の降誕を記念するクリスマスは
悲しみの闇を破って差し込んでくる光そのもの。
父親の死の知らせをクリスマスに受けたことには
意味があったのです。

 

このクリスマス、もし、心に空しさを感じ、傷を負っているのを感じているとしたら、
キリストがくださったこの希望の光を見いだしてみてはいかがでしょうか。
イエス・キリストがあなたに示してくださる偉大な愛を感じられることでしょう。
彼はわたしたちのためにこの地上に生まれ、十字架に付けられ死を受けましたが、
その後復活し、わたしたちに、永遠に続く生命をもたらしてくださった御方であり、
わたしたちの救い主です。
彼のおかげで、死を恐れることはないのです。

 

キリストの降誕によって死の壁が破られたという喜びの歌が
クリスマスを迎えるたびに飛ぶネコが唄う、
また、人類が唄うクリスマスキャロルです。
みなさんが希望の光に満たされた素晴らしいクリスマスを過ごされるよう、お祈りしています。

 

 

この記事をシェアする
Share on Facebook
Facebook
Pin on Pinterest
Pinterest
Tweet about this on Twitter
Twitter
Email this to someone
email

コメントを残す