おばあちゃんと男の子

知り合いのお子さんの面倒を見る機会がありました。


ママは自分を置いて行ってしまうと分かった途端、泣き始めてしまいましたので、
気分転換に外に出て、散歩に出かけました。


ちょっとしたら泣き止んでくれて、ポカポカ天気の中、
行く道の風景を楽しみながら歩いていました。


途中、工事現場に出くわしました。
やっぱりね。。。。
目の前にそびえたつ数台の工事車両に、目はくぎ付け。
その後は、僕ちゃんの足は一歩も前に進みません。
大きな工事車両が動くたびに指をさし、「わぁ~。」を連発しています。
「そっか。そんなに好きなら、ちょっと座って見学しようか。」と、
通路わきのコンクリートに二人並んで腰かけて、
トラック、ブルドーザー、ショベルカーの豪華パレードを楽しみました。


ちょっとのつもりがいつまで経っても次の行動に出る気配のない僕ちゃん。
だけれども、興奮して、目をまん丸にして喜んでいる顔をみていると
飛ぶネコの顔もほころんでいくのでした。


まるでスーパーヒーローを見ているかのように手を振る僕ちゃんに、
ブルドーザーの運転手さんも笑顔を返してくれています。
工事現場とは思えない、優しい、平和な空気が漂っているのを感じていました。


同時に、飛ぶネコの思いは、ある風景へとフラッシュバックしていきました。

flying-cat-icon
3歳と1歳半の息子たち。
工事車両の前から動こうとしません。
あ~、きたか。。。。
なんでこんなところで工事なんかやってるんだろうなぁ。
早く帰って溜まっている食器洗いたいし、家の中も片づけたいのに、
これで今日の予定が台無しだ。
それに、ベビーカーの中で寝ている三男坊が、
この大きな音で起きてしまう。。。。
もう、本当に、厄介なんだなぁ。

。。。。。


当時は、ヒーローに見とれている彼らの世界に
一緒に浸る余裕などない母親でした。
むしろ、目の前に張ってあるヒーローポスターを
ビリっと破って、壁というつまらない現実を突き付けてしまう、
意地悪な役でした。
そんな風に奮闘している若い頃の自分の姿は、
僕ちゃんの隣に座って彼の世界を堪能していた飛ぶネコには、
滑稽に映りました。
「あは、青かったわ。私。」

 

そして、次々と訪れる感情の波。


だって、あの時は、やらなければいけないことが山ほどあったんですから。
しかも、乳飲み子が寝ているその時は、
仕事がはかどる最大のチャンスだったんですよ。


そうよね。
あの時は、しょうがなかったのよ。
いつか、余裕ができたらそういう時が来るって思っていたわよね。


でも、余裕ができた今はどう?
子どもたちはすっかり大きくなってしまって、
工事車両を見たって見向きもしないし、足を止めることもなくなって。
結局一緒に楽しむことはできないでいるのよ。


子どもたちに今日のことを話したら、どう反応するかしら。
「あ~、覚えてる。僕らも好きだったよね。」って返ってくるかしら。


もしかして、おばあちゃんって、こういう気分なのかな。
若い時分にできなかったことを孫と一緒にやることで、
自分が癒されていくのかも。
そうだとしたら、神様って、なんてすごいのかしら。
他の生き物は、種を残すことで一生を終えるけれども、
人間は、三世代、四世代と命と思い出を繋ぎながら、
その過程で癒しまで与えていただけるのだとしたら。


ほら。子どもにとってもいいかもよ、おばあちゃんと過ごすのは。
だって、「もう行くよ。」とか、「早く帰ろう。」
なんて言われないで、好きなことを思う存分楽しませてもらえるんだから!


なるほど。家族って、こういうところで助け合っていける存在なのね。
おばあちゃんになっても元気でいて、
孫の面倒を見られるようになりたいわね。
それには、いつでもどこでも飛んでいけるように健康で暮らしていなければ。。。。

flying-cat-icon

飛ぶネコは、僕ちゃんの横顔を見ながら、
いつの間にか、こんな風に老後の見通しまで立てていました〈笑〉。


日常の小さなひとコマから、こんな人生観がパノラマになって現れるときが
たまらなく好きです。
そして、こういう瞬間に、神様の計らいがあるのかな、
なんて感じるのです。

 

【関連記事】 

ベルトコンベア方式は悪い子育て

いいお母さんになりたいと願っていた私に与えられた啓示

この記事をシェアする
Share on Facebook
Facebook
Pin on Pinterest
Pinterest
Tweet about this on Twitter
Twitter
Email this to someone
email

コメントを残す