光を求めて

年初め生涯のパートナーとして共に歩むはずの大切な人が突然他界した。

ショックと悲しみで騒ぐ自分を落ち着かせようと、私は紙を取り出し、

何も考えずにひたすら心の思うままにペンで線を描きつづけた。

線と線を繋げる。丸い線、まっすぐな線、長い線、短い線。

それを何時間も何時間も何日も描き続けた。

 

これは大学時代の先生が教えてくれた

「考えて描くのではなく、感じて描く」という方法。

何を描くのか意識してから描くのではなく、何も意識せずに

描きはじめて、途中から何かに見えたらそれを完成に導く

というアートの作り方。私はこの方法が気持ちの発散にもなって好きだ。

 

一つの大きめの作品の8割ができたとき、初めて意識して見てみた。

自分の子供たちを調和して描かけそうだなぁひらめいたので

余っているスペースに一人一人をはめていった。

できあがりを良くみると、我が子四人の姿が森らしき場所から、

光の穴へと互いを導きあっている興味深いシーンが見えた。

そのシーンをあらためて眺めたときにジーンと感動をした。

 

辛い気持ちから解放されたくて、絵を描いてみよう、

という小さな声のささやきに従ったわたしは、

心を落ち着かすための絵を描こうという意識しかなかった。

しかし、数々のできた作品からこの一枚は特別だった。

なぜなら、この一枚には、もう一人の私から

自分へのメッセージがひそんでいると気づいたからだ。

 

もう一人のわたし(無意識の自分)は、

今現在わたしの心の痛みを和らげているものを

美しく表現してくれたのだった。

悲しい私を癒し、毎日光へと導いてくれている子供たちを

見せてくれたのだった。そして、愛するものたちと手を取りあって

光に向かって歩き続けようねというメッセージを心に届けてくれた。

 

心の制限を解いて、無意識の自分を解放させると

人は想像豊かなアイデアや素晴らしい芸術を生み出せるんだと

昔先生が教えてくれたのを思い出した。本当だなと思う。

でも、この教えはもっともっといろんな意味で深い。

 

私たちはみんな、自分の中にもう一人の自分が閉じ込められている。

この世での生活で作りあげてきた考え方に縛りつけられていない、

大衆の考えにも支配されていない自分が閉じ込められている。

その自分は無限の力、大自然、天、神、宇宙、光と繋がっている。

 

その自分は心の癒し、悩みの答え、問題の理解、物事への新しい見方、

自分が必要なあらゆる知恵が備わっている光と話しができるのだ。

そして、その光には望めばいつでもアクセスできるはずなんだ。

自分が制限かけさえしなければ…

 

日常の忙しさや、時には苦しさに気をとられて

この偉大な天との繋がりを忘れてしまう。

しかし、私たちはその光の一部であるということを忘れてはいけない。

そして、その素晴らしさを受けることは、

生まれながらの私たちに与えられた特権と権利だと自覚していいと思う。

 

光は私たちの必要なものを教えてくれる。

光は私たちを正しい道へと導いてくれる。

光は大きな声ではさけばず、小さな細い声で話しかけてくる。

本当の声としてではなく、

直接わたしたちの心にメッセージを感じさせることもあれば、

自然や人、ときにはあなたの無意識でさえ使って

重要なメッセージを届けてくる。

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2 thoughts on “光を求めて

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