欠陥だらけの母のサポーター

母原病

実家の本棚にあった「母原病」という本を読みました。
昭和54年(1979)に小児科医によって書かれた本です。
著者のクリニックを訪れる子どもの病気のほとんどが
細菌やウイルスを原因とする病気ではなく、
世の中が文明化し、都市化が進み、
子どもの育つ環境が自然さを無くしてしまったことに起因する「文明病」だ
として、警鐘を鳴らしている本でした。


そしてその文明病は、親の、
特に母親の育て方に原因があるために発生する、
という記述から始まり、だから「母原病」なのだと。
まえがきを読んだだけで
「もしかして、子育て欠陥暴露本?」という匂いを漂わせ、
ここで本を置いた方がいいかも、と思わせる内容でした。


しかし著者は、子育ての在り方を責めるのではなく、
「このままでは我が国の親も子もどんどん不幸になってしまう、
という危惧と焦燥から本を出版した」、と記しています。


気を取り直して、また怖いもの見たさもあって(笑)
読み進めました。
興味深いと思ったのは、こんな表現。


「風呂焚きも掃除も外出するのも不便な世の中では、
わが子を育てることはむしろ楽しいと感じ、
子どもは宝といったものです。
ところが、現在のように便利なものばかりが多くなった世の中では、
子どもほど手のかかる不便なものはないと思う親も少なくありません」


「ここ20~30年の育児指導は、大局的にみると
すっかり失敗してしまった。
なぜなら、育児指導の主旨として、
『親に育児知識を与えれば育児が上手になる』
という、とんでもない発想から出発していた点にあります。
なるほど、知識と技術によって生物を育てることはできますが、
それは育児ではなく『飼育』です」


「子どもは手がかかる」、「育児ではなく飼育」
あらら。思い当たる節があります。
他にもいろんな症例が、グサグサと飛ぶネコの心に刺さってきます。

 

母原病の兆し?

飛ぶネコの三男は極度の心配性です。
どうすれば彼の心配性が治るのか、
普段から頭を悩ませていますが
正直どうすればいいのかわからない状態。
母原病を読むと
やはり飛ぶネコの育て方に問題があり、またあったのだろう
という結論に向かってしまいます。


そんなことを考えながら湯船につかっていたら、
「天のお父様、こんな母親でごめんなさい」
と、自然に首を垂れていました。


そこへ、娘がいきなり扉を開けて入ってきて
「かあさん、この写真って〇✕△☐だよね」と聞いてきました。
娘には今入浴中で、メガネがないことを話し、
確認するのは入浴後でもいいかと応えました。
娘は「はーい。」と言って去っていきましたが
祈っている姿を見られてしまいました。


そういえば、三男とはこういうことがしょっちゅうあります。
飛ぶネコが部屋を移動すれば金魚のフンのようについてきます。
トイレに入っているときにドアを開けられることは日常茶飯事です。
ドアにカギをかけてみると、「ドンドン」と鳴らされます。
一日の始まりには、「本日の予定」を聞かれ、
飛ぶネコが何時にどこへ行き、何をし、いつ帰ってくるか
を確認されます。


彼のストーカーのような行動のために、
飛ぶネコが一人になってやりたいことを
中断させられたことが何度もあります。


一人になって泣きたくて駆け込んだトイレのドアを開けられて
涙が引っ込んでしまったり、
怒りを抑えたくて入った部屋に突入され、
せっかく抑えていた怒りの言葉を
そのまま息子に飛ばしてしまったり。


そんな数々の「嫌な場面」を思い出しているうちに
あることに気が付きました。


欠陥母親の嘆き

昔、まだ長男次男が小さかった頃、
朝早く起きて聖典を読んで瞑想し、祈りとともに
一日を始めようと頑張ってみたことがありました。
しかし、何時に起きようと子どもたちが目を覚ましてきて
その決意が萎えてしまったことがありました。
母親の行動を感知するセンサーでもついてるのじゃないか?
と思うほど、きっちり、ぱっちり目を開けて
子どもたちは飛ぶネコの欲しい時間を奪っていきました。


その時飛ぶネコはこんな苦情を神様に漏らしました。
「天のお父様、わたしが御心に従って
あなた様とお話をして一日を始めたいと思い、
毎日頑張ろうとしているのをご存知です。
それなのに、なぜ子どもたちをもう少し寝かせておいてくださらないのですか。
なぜ、わたしを助けてくださらないのですか。」


そうしたら、こんな答えが返ってきました。
「子どもたちには今あなたと一緒に過ごす時間が必要なのではないですか。
そして、子どもたちが待つ必要があるのなら、
それを教えるのはわたしではなく、母親であるあなたです。」


あぁ、やることをやらずに不平を言ってすみません、
と反省し、長男次男には
「かあさんは今、大事なことをやっています。
あなたたちの要求は終わるまで待ってください」、
と伝えたのを憶えています。
二人がそれを理解できたのかどうかはわかりませんが、
嫌な記憶がないということは、
彼らが我慢できなかった時はこちらが折れたりして、
なんとかうまくいったのだと思います。
ただ、三男は勝手が違いました。
その言葉を毎回伝えても、
まるでそんなの初めて聞くようなそぶりをする三男に
飛ぶネコはキレそうになるのを堪えるのに必死でした。


そこで先ほどの「嫌な場面」に戻ります。
考えているうちにあることに気が付きました。


三男は飛ぶネコが祈る姿を一番見ています。
母が起きるとその物音で目覚める彼は
飛ぶネコが聖典を読んでいる姿を毎朝見ています。
上手くいかないことに涙を流した後、
作り笑顔をまとって部屋を出てくる飛ぶネコを知っています。


「心配はいりません。
彼はあなたから、私に従う方法を学んでいるのです。」
湯船につかりながらつぶやいた祈りの答えでした。


母たちのサポーター

母原病の著者が記しています。
「育児には流行などあるはずがないのです。
人類のはるか先祖の頃から
同じことの繰り返しで人間形成がなされてきたのです。
その長い歴史の中で生活の知恵が生まれ、
「子どもは風の子」
「かわいい子には旅をさせよ」
「三つ子の魂百まで」
ということばは、医学の進歩によって
動かしがたい事実であることが判明してきました。
昔の人たちの英知の素晴らしさは
医学が進むほど科学的に正しかったことが分かり、
ただ驚くほかありません。」


飛ぶネコが行っている教会では英知(リンクを下までスクロール)は神に置き換えられます。
宇宙の万物に命と光を与える真理の光という意味で
その源はわたしたち人間を創造された神というわけです。


毎日頑張っている世界中のお母さんたち、
わたしたちのバックには「英知」というサポーターがいることを
実感している人はいませんか?
重労働で不安が多い子育ても、
こんな欠陥だらけの母親だったとしても、
神様という偉大なサポーターと一緒だったら
失敗を恐れずにやっていけるぞ!という勇気をもらった気がします。

 

 

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