幼い頃、よく叔母の家に預けられました。
共働きだった両親のもとで生まれ育った私は、2人の仕事が遅くなる日に決まって、
叔母の家で夕食をご馳走になっていました。
「今日は何が食べたいんだい?」
優しい叔母は、いつも私が大好きな料理を作っては出してくれました。
「今日も何だこの飯は!もっと上手くできないのか!」
夕食が始まると、必ずといっていいほど叔父が口を開きます。
「米が固い!味が薄い!…冷めてるじゃないか!」
その度、笑顔でうなずく叔母を見て、
(なぜこの人は、こんなに料理が美味しくて、優しい叔母を怒鳴り散らすことができるのだろう…)と子供ながらに思っていたものです。
「お前もそう思うだろう!?」
突然やってくる変化球に、そうは思っていなくても恐怖のあまりうなずく私…
食卓が過ぎると毎度、叔母に謝ったのを今でも覚えています。その度に叔母は
「ええのよ、あれはなぁ、あの人の愛情表現の1つやねん。それに、言われた叔母さんもおかげで料理の腕がメキメキ上がってんねんで…」と笑顔で答えるのでした。
それでもいつか叔父に、叔母の料理を褒めて欲しい。もっと優しく接して欲しい。
そう思った私は、自分の気持ちをハッキリ食卓で伝える、そんな機会を伺うようになりました。
ある時、叔母が
「今日のご飯どうかしら?」と食卓で私に聞いてきました。
私は隣に叔父がいることは百も承知、待ってましたと言わんばかりに声を張り上げて言ってやりました。
「叔母さん、今日のご飯は最高だよ!固さも丁度いいし!味もとっても美味しいよ!おそらく今まで食べたなかで1番と言っていいほど今日のご飯は最高さ!」
黙ってうなずく叔父を見て、ついに本望叶った勝利の美酒に酔いしれそうになりました。
すると叔母が私に1つの事実を教えてくれました。
「そうなのね。今日は叔父さんが炊いたのよ。」
あれから何十年も経ち、最近叔父の体調不良が続き入退院を繰り返していると耳にした私は、久しぶりに叔父・叔母の顔を見に故郷へ足を運びました。そこには、あの時と全く変わらない食卓の風景に、すっかり変わり果てた2人の老いた姿が、時の流れの早さを物語っていました。
「あんたも食べてくか?」
「ありがとう、ところで今日はどっちが炊くの?」
2人とも、あの時の事をよく覚えていて、笑ってくれます。
「あれから叔父さんも料理手伝ってくれるようになってん。」
2人で分担し、献立に取り掛かる姿は、老いたとはいえ、私にとっては新鮮そのものでした。
「母さんの料理はやっぱり美味いからなあ。それには負けますわ。」と叔父。
どうやらあの晩に褒めた言葉に意欲が増し、料理に励みだしたのだそう。
見た目とは裏腹に、食べたい味がなかなか引き出せず、思うは叔母への感謝の気持。
褒められた叔母も、ますます腕を磨かれた様子でした。
「褒めて伸ばすは、子供だけでないなぁ。」
笑顔が飛び交う食卓に、いつまでも元気でい続けてほしいと願うJAXでした。
最近、誰かを褒めたことがありますか?
照れくさくても、相手に感謝を伝え励ますことは、生活を豊かなものへと変える大切なレシピかも☆彡