目で見えないもの、耳で聞こえない声

見えないものや聞こえない声、そういうのもが実はすごく大切なんじゃないかな?

最近、驚いた話。それは知人の自閉症を持った人のこと。彼は社会でいう障害のレベルとしては重度で、周囲とのコミュニケーションはとても難しいとされていた。ある時、母親に指筆談(言葉でコミュニケーションが難しい人が使うコミュニケーションツール)を始めてみては?というお誘いが。彼と指筆談で会話を始めると上手くいき、少しすると筆談もできるように。そうすると、彼の方から「お母さん、ありがとう」とか「時々、大きな声を出してごめんね。コントロールできないんだ。」などという言葉がでてきた。

 

目には見えない特別な力

ある日、母親が彼の筆談を手伝おうと手に触れた瞬間に彼の意思が母親の体に入ってきた。母親はびっくりして「今、○○○って言おうと思ったの?」と聞いたところ、「お母さん、やっとできたね。」と書いたとのこと。

他にも彼が驚きの能力を見せたことがある。算数もちょっとできるのかな?と思った母親が彼に簡単な計算問題を書いて出した。特殊学級では算数は型はめとか、ものを数える程度。でも、彼はその計算をすんなり答え、ついには難しい関数の式などを書いて解きだしたとか。学校の教師はもちろん、家族もこんなことは教えていない。どこで学んだか聞いたところ、彼の答えは「兄弟の脳からだよ」と言ったそう。どうも、兄弟達が高校なので学んできた数学の知識を、何らかの方法を通して彼らの脳から情報を得たというのだ。

この話を聞いて、私はまだまだ知らないこと、「常識」や「見えるもの」「聞こえるもの」にとらわれているなと再確認。ズバッと胸を切られた感じだった。

 

見えない、聞こえないコミュニケーションを使って

かみさまが私にして欲しいこと、知って欲しいことは聖典や祈りを通して今まで聴き、感じるようにしてきたけど、言葉を喋らない人たちや、もっと広げて花や木や動物など、耳を澄まして心を広げたらもっと気づかなかったこえを聞けるんじゃないかな。世界がぐんと広がるんじゃないかな。コミュニケーション、伝えることってほんと、言葉だけじゃないんだなー。

そう思ったら、新たなドアを1つ開けられた気がして、とっても嬉しい気分。

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