お金をとるか、命を救うか
という選択に直面したら…
あなたならどうする?
命をとるに決まってるさ!
と普段答える私だが、
あの時は迷った。
あれは、2013年の5月のこと。
私は娘を自転車で幼稚園に連れていく
ごく普通の朝。
その途中、道の曲がり角で、
子猫が倒れていた。
車が一台でも通れば気づかれる前に
はねられるような運の悪い場所だった。
でも、びくともしない様子だったので
もう死んでいるのかと思った。
幼稚園からすぐの場所だったので、
とりあえずスピードあげて
子供を幼稚園に連れていった。
「じゃね、また、後でね」
と言うと、娘が、
「うん、ママ早く助けにいってあげて」
と答えた。
ママがこれからあの子ネコちゃんを
助けに行くことが完全に
悟られていたみたい。
困ったものを見たら
必ず助けなさいと言う教えを
しっかり覚えていたのだろうね。
猫ちゃんはドロドロに汚れ、
ガリガリに痩せて餓死寸前だった。
家に連れて帰り、
綺麗にしてあげようとしたら、
怯えて思いっきり噛まれたが、
それが最後のふんばりだったかのように
力が尽きて倒れてしまった。
餌をあげても、食べることができず、
体を動かすことすらできない。
と思いきや、突然
自分の体をあちこちにはねて
泡を吹きながら暴れる。
我が家はその夜はパニック状態。
私は一晩眠れずがんばって
猫ちゃんをみていたが、
次の日、急いで
動物病院に連れていくことにした。
そして、そこからが
思いがけない試練がやってきた。
検査、治療、薬、酸素吸入や入院費。
なんと1日1万円ずつ
治療費が重なっていったのだ。
動物の治療って
そんなに高いなんて知らなかった。
そして、正直そんな多額なお金を
払う余裕がない。
しかし、猫ちゃんはまだ、
見込みありますと言われ、
いつまでかかるのかわからない治療に
同意をした。
我が家はペットは飼えないアパート。
だから子供たちには、
元気になったら
飼い主を探してあげようねと話し、
毎日みんなでお見舞いにいった。
4日目には定期的に痙攣を起こして
泡を吹く障害は治らないと宣告されて、ますます、焦った。
猫がすぐ元気になっても
飼い主が見つからないかもしれないと 。
子供たちの命に対する思いやりと
助けてあげたいという気持ちを
裏切ることはしたくなかった。
でも、私たちの家賃と食費が
治療費に消えていくのも困る。
これも、無視することはできないと
心の中でどうしようと葛藤。
そして、とうとう6日目で6万の借金。
数日でことは深刻な問題に
なっていったので…
命かお金のどちらかを
選択しないといけないかも
と思い 家族会議を開いた。
残念ながら猫ちゃんあきらめよう
という流れになるはずと思うでしょう?
でも、この会議の大人は私だけで…
ちょっと違う展開になった。
食費がなくなったら
しばらくみんなで我慢しょう。
お風呂には入らないで水の節約だ!や、
電気もロウソクに替えよう
という案がでていた。
そして、結論として、
“ママ正しいことをしたら神様が
助けてくれるから大丈夫。
だから、お金より命だよ。”
という感じに
結論され会議が終わったのだった。
子供たちがしっかり
理解できない事情なのに
家族会議を開くのはやばかったかもと、後悔した( ̄▽ ̄)…
けれど、その晩子供たちの
“命の方が大事だよ”というセリフは
まるで天使の言葉に聞こえた。
だから翌日、言う通りに
お金より命を選択して治療を続けた。
すると、7日目に先生が
猫ちゃんはこれ以上治療しても、
苦しいのが数日長引くだけだから、
酸素吸入を外して
楽にさせてあげましょうと言ってきた。
のら猫ちゃんなのに
ここまで心配してもらい
大事にされたラッキーな猫ちゃんだね、
もっとこのような人がいたらいいのにね
と私たちを褒め、
治療費半分以上こちらで
負担しますよと言ってくれた。
こうして、
命とお金の狭間問題は一件落着し、
我が家の突然の借金も
解決したのだった。
子供たちはのら猫ちゃんを
ラッキーと名づけていた。
みんなで1時間ぐらい歩いて、
大きな川の岸の
1番綺麗な場所を選んで埋めた。
子供たちにとってちょっとした
人生の初のお葬式で、
大粒の涙を流して泣いていた。
命を助けることはできなかったけれど、
最後まで大事にしてあげた。
子供たちはあらためて
命の尊さを実感し、
私は子供達とラッキーを裏切ることなく
惨事は終わった。
自分にとって
1番大事なことってなんだろう、
と考えさせられた一週間。
いつどこで突然
自分に問題が降り掛かってくるのか
わからないこの生涯の中で
果たしていつも正しいものを犠牲にし、
正しいことを優先して
行けるのだろうか。
子供たちの言う通り、
尊いものを選択すれば、
天は動いて人助けを
してくれるっていうことを
もっと信じれる必要があるのかな。