写真:流産した赤ちゃんの足
2016年4月9日1:03AMに、病院の分娩室で私は3人目の子を17週で流産。去年に続き、二人目。分娩室には、生まれたての赤ちゃんを乗せて、ふいたり体重を測ったりする台があったり、母乳をするためのロッキングチェアーがあったり。。。ここでもう既に死んでる赤ちゃんを産まなきゃいけないのかと思うと、心が詰まった。
4月8日(金)通常の1ヶ月検診。もともとついてくる予定のなかった夫が検診の1時間前に「やっぱり一緒に行く」と連絡をくれ、もうすぐ5歳になる娘と親子3人で元気な赤ちゃんの心臓の動く音を聞きに行く事に。
私「赤ちゃんの心臓、どのぐらい速いかな?」
娘「びーびーびーびーぐらい!」
私(びーびー?ドキドキとかドクドクじゃないのかな?笑)
そんな会話をしながら、診察に行った。
私たちの期待とはうらはらに、なかなか赤ちゃんの心臓の音が聞こえてこない。診察室で一生懸命「音」を探す助産師さん。結局見つからず、エコーで確認。赤ちゃんの心臓が停止していた事を知らされる。エコーから赤ちゃんの大きさを測り、既に2−3週間前にお腹の中で亡くなっている事を告げられた。休まる暇のなかった2週間をちょうど終えたところだったので、2−3週間前というと、その多忙な2週間の前。弟の結婚式のために週末だけ日本に帰国し、アメリカに帰ってすぐに荷物をまとめ、新居に引っ越すというのをした、妊婦でなくてもどっと疲れる2週間の前だ。日本に帰る前に、もう赤ちゃんは亡くなっていたという事、それがせめてもの救いのように感じた。私の無理しすぎじゃなかったんだ。って。
すぐに赤ちゃんを「出産」するように言われた。娘を見てくれる友人を探し、昼食を取り、すぐ入院。私は病院のガウンに着替え、手続きを夫が済ます。処方は、陣痛を起こす飲み薬を4時間ごとに飲み、陣痛が来て、子宮口が開き、自然に産むという流れ。痛み止め(無痛分娩)を勧められたが、それはお断りした。
私の体は意外に素直で(長女の時も薬で陣痛をこさせたが、陣痛がくるまでに12時間以上かかった)2回薬を投与しただけだった。夜8時過ぎに2回目の薬をもらってから、少しお腹が痛み始めたので「今のうちに寝よう!」と、仮眠。11時すぎまで寝た。まだ3回目の薬まで時間があるから、痛みから気を散らすために、夫とアニメ鑑賞。でも、1話で断念。痛くて。それからだった。心の目が開けてきたのだ。
痛くて痛くて、目を閉じると、私と夫の間(ちょうど私の左肩あたり)に立って私を応援する、大きくてほんわか明るい人の影が見えるようになってきた。はじめ、死んだおばあちゃん(以前におばあちゃんが死んでから、声を聞いた事があったので)だと思ったけど、どうも感じが違う。誰だろう?あ!!!この赤ちゃん!!!
5歳になる娘は、お腹の赤ちゃんは女の子だと言い張っていた。夫もコンピューターの電波を仕事上大量に浴びているので、女の子だと思っていた。私も中国の性別カレンダー(長女の時、当たっていた)を調べ、女の子と判定があったので、絶対に女の子だと思っていた。
でも、目を閉じて、心で見ると、ここに立っているほんわか明るい人の胸は平たくしっかりしていて、体もがっちりした短髪の青年のように感じた。だから、夫に残りの精一杯の力を使って一言。
「生まれてくる赤ちゃん、男の子かも。ここにいるよ。」
それから30分、いや、1時間ぐらいして無事に赤ちゃん出産。看護師さんが「男の子だったよ!」と教えてくれた。
私が出産し、ちゃんと胎盤も出てくるまで、その赤ちゃんの霊はずっと私の側を離れず、左肩の上から応援してくれた。胎盤が出て(助産師さんが精一杯押すので、これが一番痛かった!)「もう終わりましたよ。大丈夫です。」の言葉を聞き、赤ちゃんの霊は私に心からのお礼を伝え、おでこにキスをして、去って行った。
しばらくして、夫がこう言ってくれた。「この子の霊は成熟していたから、この世で試練を受ける必要がなかったんだね。」
この言葉を聞いて「どっちでもよかったんだ」と思った。「この赤ちゃんは天に戻るために体だけ必要だった。だから、日本に行く前でも後でも、同じだったんだ。それより、彼が私を母親に選んで、短い間だったけど、一緒に時間をこの地上で過ごせて本当によかった。」また、「彼のためにできる、私の母親としての勤めは、この世ではもう終わったんだな。」と、満足感と達成感、感謝の気持ちが溢れてきた。そして、とても寂しい気持ちも。この世ではたった4ヶ月だったけど、私が彼の母親であって、私の事をとても愛していると私がわかるように、ずーっとベッドサイドで見守って、応援してくれてたのかな。
夫と私は、彼を「善(Zen)」と名付けた。(エテル4:12)
次の日の夜、私は夢を見た。総大会の終わったモンソン大管長の隣に座り、彼の手を取り、話をしていた。彼に「流産した子達は昇栄できるんですか?」と聞いていた。モンソン大管長はやわらかな優しい微笑みをくれ、質問に答えた。彼が何と言ったか覚えてない。でも、教義と聖約から引用した事は覚えていた。そして、私がほっと安心したのも。
朝、目がさめ、それとなくリアホナ(教会の機関紙)に目を通していると、「わたし自身の声によろうと、わたしの僕たちの声によろうと、それは同じである。」(教義と聖約1:38)という聖句が飛び込んで来た。すぐ、主がモンソン大管長の姿を通して、私に教義と聖約を勉強するように言っていると分かった。
私は確認したかった。既に流産した私の二人の子ども達とまた会う事ができるという事を。モルモン教では公式に流産した子の昇栄についてはまだ啓示がないと言っている。教会の指導者ジョセフ・フィールディング・スミス長老はこう書いている。「死産児についての情報は啓示で与えられていません。しかしながら、私は個人的な意見を言います。私たちは希望を持つべきです。これらの小さな命が復活をし、私たちと共にいる事を。」(救いの教義、2:280)だから、個人の啓示を受けたかった。
教義と聖約を開いてすぐに答えを見つける事ができた。「わたしの業の初めには、先に霊的なものがあり、次に物質的なものがあり…」「まことに、わたしはあなたがたに言う。わたしにとってはすべてが霊にかかわるものであり…」(教義と聖約29:32、34)
この聖句を読んで、「善」と「前に流産した子」には、既に霊があった。。。やっぱり、あの応援してくれた霊は「善」で、彼は昇栄できるんだ!と、確かな希望と平安の気持ちを持つ事ができた。
こんな清い霊達が神様の元へ帰るお手伝いができるなら、また流産しても大丈夫だ、とまで思えるようになったのだ。流産したから、振り出しに戻ってまた「一児の母」ではない。私はもう三児の母で、二人も天で私を待ってくれ、この家族を見守っていてくれる。何て心強い味方ができたんだろう!
だから私は今回、思い切って文章にしてみた。もしかしたら、同じように流産や子どもの不幸で苦しんでいる母親達の小さな慰めになれるかも、一粒でも悲しみの涙が少なくなるかもと思って。「流産したって、障害を持った子を産んだって、子どもを既に天へ送ってしまっていたって、あなたは今もそしてこれかれもずっと、その子達にとって、最高の祝福で、最高のお母さんだよ!」って。
それが今回2回目の流産を経て、やっとたどり着いた宝。
そして最後に、これを読んでくれたあなたが、神様の愛と(今すでにいる、逝ってしまった、これからくる)子ども達の愛をたくさん感じられますように。
*これは、あくまでも、私、個人の意見でモルモン教の教義を表明するものではありません。
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